【家を守る釜神を彫る】
工房釜神 沼倉節夫
火を司り、家を守る釜神
電気のなかった時代、
火は暗闇の中で活動するため、
煮炊きをするため、
暖をとるために必要不可欠なものでした。
ゆえに灯りは家族が寄り集まるところであり、
まさしく火は家の象徴でした。
昔、婚礼当日に嫁が婚家先の家に入るとき、
台所の入り口から入って、
まず第一にカマドの火の神を拝むという風習がありました。
また、分家をする場合には今でも「かまどを建てる」、
「かまどを持つ」などと言います。
火を取り扱う場所である「かまど」は、
家そのものを指す言葉でもあったのです。
こうしたかまどを信仰の対象とする例は
古くから全国的に見られるそうですが、
宮城県から岩手県南部にかけての地域では、
特に土間のかまど近くの柱や壁に
土あるいは木の面を祀る風習がありました。
この面は一般に「カマガミサマ」と呼ばれています。
この釜神さまを彫る
『工房釜神』(宮城県松島町)の沼倉節夫(ぬまくらせつお)さんに、
お話をうかがいました。
釜神信仰の原初
私が作り方を教わった釜神さまは、外敵から家族を守る、家を守るということで基本は怖い顔。最初ここに入ってくるとみんな怖い怖いって言いますよ。でも、30分とか1時間とか世間話をしていると、「最初怖いと思ったけど優しさが見えてきた」とかね、そういう人も居るんです。本当はね、私もそこが狙いなんだけど。ただ怖いだけじゃなくて、釜神が家族の一員になってその家族を守るということが大事だと思ってるので、そういう風に言われると嬉しいですよ。でも、昔の釜神を見るとね、怒っているだけじゃなくて色んな顔があんだね。
複雑な彫りなんか無くて、ただ板に鼻と目を付けただけの素朴な釜神もいて、そもそもそいうものが釜神の原点なんじゃねえかな。ほんとに原始的な信仰ですよね。神無月にあらゆる神様が出雲に集まると言われてますが、釜神だけは家に残るって言われるんですね。だから、出雲の神様が東北に来る以前からいた神様なんじゃないかと私は推測してるの。例えば、昔は今みたいに写真があるわけじゃないし、亡くなったおじいさんやおばあさんがどういう顔だったかを形に残しておいて、家族をここで見守ってくださいみたいな、そういう思いがそもそも釜神の原点にあるんじゃないかと。
《宮城県蔵王町の旧家、我妻家の土間》
《かまどの柱に古い土製の釜神》
でね、出雲に行かないということは、そもそも釜神は征服された側の神様じゃないかと思うんです。東北征伐以前からこういう類の東北土着の信仰があったんだけど、大和朝廷が統治するために都合の良い宗教を持ち込んで強引に改宗させて、土着の宗教をどんどん駆逐していった。釜神もその中のひとつなんじゃないかと。当時は釜神って名前でもなかったと思うんだ。政権に言い訳するために目の届きにくいかまどに祀って、それで釜神さまなんじゃないかという気もしますね。
家からかまどが消え、100円ライターで簡単に火が付く時代 変化した釜神の役割
ウチで買って行かれる方だと、飾り方は色々ですね。玄関とか、最近はリビングに飾るという方が多い。あとは飲食店だね、居酒屋とかラーメン屋とか。家を守るかまどの神が、最近は商売繁盛まで担っている。人間はこじつけが上手いから、どんどん雪だるま式にご利益が増えていってますね。
この間は、山形のお寺の和尚さんが来て買っていったしね。和尚さんがなぜ神様買っていくんだやってね(笑)。まあ、色んな方に愛されれば一番いいんですけどね。買われた方の自由でいいんじゃないですか。例えば、金持ちになりたくて釜神様を購入したんだというのであれば、それはそれでいいんじゃないかなって気がしますね。
彫るという行為を経て、木に宿る何か
そのままぶん投げておけば単に腐っていくだけの木でしょ。それに目・鼻・口を彫ることによって、あらたな息吹を始める。それが人に信仰心を生じさせたりもする。不思議ですよね。
この間来たお客さんはね、一つ一つ対話するんだっけよ。「家来る?家来る?」って、向かい合って。全部やっていきましたよ。で、納得いったのがあったんだな。「あ、これが来たいって言ってるみたいって」。ウチから釜神を買った人が神社に神入れをお願いしに行ったら、「これはもう入ってますよ」って言われたという話もあって。それはたまたま、作る思いが面に入っちゃったってことなんでしょうな。よく「無心で彫るんでしょうね」なんて言われるんだけど、俺はもう雑念だらけで彫ってますよね。だから、たまたまそういう風に入っていたっていう。それに、注文いただいた場合は大体お客さんの家族構成を事前に聞くんですね。だから、「その人と家族を守ってくださいよ」とか、そういうことは思いながら彫っています。結局は、人間対人間、その間に木が入ってるだけなので、思いが篭もるということはありえますよね。
基本の再現と、脱線の欲求
始めてからもう七年くらいになんでねえかな。最初は押しかけ弟子で、先生には「自分はもう歳だから教えない」と言われたんです。「一つ作りあげるのに10年はかかるぞ、お前なんかノミも持ったことないんだからダメだ」って。でも、先生の横で見様見真似でいたずらしているうち、俺も作れると思わなかったんですけど、一年もしないうちに出来てしまったんだね。そこから先生も本気になったんですね。
昔はね、ただ先生の言われたことを守って、同じようなものを作っていただけなんだけど。だから、同じものを忠実に作るってことで、芸術家ではないわけだよね。単なる職人。
でも、“欲”ですよね。俺の作りたいものを作るんだっていう気持ちは、だってもう、どんどんどんどん出てきてますよね。もちろん、先生に教えられたことを忠実には再現していくってことは基本なんだけど、そこからまたね、私自身の別なものを作っていくのがやっぱり面白いんだね。
天国の先生からは「教えたことからなに脱線してんのやっ!」って言われそうな気もすんだけど、ただ先生も言ってたんだ。「お前はお前なりの釜神さまをイメージして作り上げることもひとつの道なんだぞ」って。
上手い下手を超えた、訴える表情
大病してから、ものの考え方がみんな変わりましたね。始めたころは、いかに上手く作ろうかとか、いかに先生と似たようなものを作るかというようなことだけだったんだけど、いやこれは違うなと。上手く彫ればいいっていうんじゃないんですよね。面が表現する表情は、上手い下手とは別のところにあるんだね。だから、昔の原初的な釜神のように、ただ板に目鼻がついているだけでも、訴えるものが見えてくる場合もあるんです。
若い頃は国宝級の仏像とか写真を撮りに行ってすごく感動したんだけど、今は全然見る気がしないんです。むしろね、稚拙な、へたくそな仏像の方がビンビン訴えてくるものあったりとか。
10年早く始めてればっていうのは常々思いますね。もう60歳を過ぎて、この先なんぼ作れっぺと。まだほんとに彫りたいものが出てこない、まだね。ああこれだと思って気に入ってデッサンして彫るけども、なんか違うんだなあ。頭に、ぼわーっと浮かんでるんですよ。でも、それをデッサンで引き出そうとすると出てこない。目の前に居るんだよ、確かに居るんだけどね。(インタビュー:2015/06)